2007年12月18日

第623話「 ガンジー考4 」

過去4回の日記で、ガンジーの「非暴力・不服従運動」を取り上げた。
ガンジーという人物を知らなかった時の私と、「ガンジー 暴力の連鎖を断ち切れ!」〜自由への行進400キロ〜を、見た後の私の受け止め方の違いなどに触れてみた。

で、私の印象はというと、ガンジーの抗議行動の軌跡は「非暴力」とは程遠い、ノーガードで一方的にドツカレっぱなしと言う、作戦というにはお粗末すぎる「無抵抗」主義で闘い通した。なぜ無謀な作戦に民衆が応じたのか理解に苦しむ所もあるけど、ガンジーは「無抵抗」主義が結果的に犠牲者が最少で済む方法と確信していたに違いない。
その点については私も異論はない。
違った見方をすると、どれだけ犠牲者が出ようとも、その手に塩を掴み取るまでは諦めない作戦ともいえる。

客観的に見て「ありえない作戦」だ。

しかし、ガンジーは塩をその手に握り、塩を握ったという事実がその後のインドの独立につながった。

前振りが長くなってしまったが、日本はというと、「暴力」につながるある種の摩擦を極端に避ける風潮があるので、いつまでたっても言論に頼るだけで一向に庶民の願いが叶わない。
ていうか、デモにしても決められたルートと時間を守ってたら、迷惑するのは運悪くデモに遭遇してしまった人たちだけですよね。たぶん糾弾されている人たちには痛くも痒くもない行事だったりするわけですね。

ですから、摩擦を避けることに一生懸命で、結果として塩を掴み取ることもない行為だったりするわけです。

私の知る限り、何十年もずっとそうです。最近ではすっかり立ち上がる人も絶えてしまった、それは政府にやられたのではなくて私たちの作戦が間違っていたということだ。

ようやく安倍晋三を倒したと思っていたのもつかの間、単にほとぼりが冷めるのを待っていただけで、何事もなかったかのごとく蘇ってきたことが、それを証明しています。

私たちはそろそろ、「確実に塩を掴みとる方法」について考え直さなければならないのではないでしょうか?

番組ではインドの独立後にヒンドゥー教とイスラム教の対立によって、ガンジーは人生最後の摩擦の中に身を投じます。ということは、独立を勝ち取るために宗派を超えて協力してきた事実があるわけで、それはそれぞれの主義主張を超越した個の尊厳に関わる部分で一致団結できたということになります。

もし私たちが個の尊厳に関わる「譲れないもの」をスローガンに上げたら「確実に塩を掴みとる方法」も見つかるのではないかと思っているのです。

う〜ん、やっぱ今一説得力に欠けるかな〜

でも、人の背中を押して思わず一歩踏み出させる言葉ってきっとあるはずなんだけどね。


今日はこのへんで‥‥‥。σ( ̄^ ̄)


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