2007年12月11日

第619話「 ガンジー考1 」

ふ〜、えらいこと始めちまったような気がする。
でもまぁ、気がすむようにボチボチとやっていきたい。

私の検証の仕方は、起こしたテキストに一々チャチャを入れてゆくという恐ろしくレベルの低いやりかただ。したがって最終的に満足するかというと、十中八九スベル。

そして、しおれる。 _ト ̄|○

┐(-。ー;)┌ フー

で、とりあえず本題に入るとしてタイトルの

「ガンジー 暴力の連鎖を断ち切れ!」〜自由への行進400キロ〜

は、良いタイトルですね。

ちなみに私、ガンジー???たしか、インドの人だよねぇ‥‥‥って感じの知識しかありませんでした。そんなんですから、完全に暴力を否定した人としてのガンジーなんて知ってるはずありません。キッパリ!

でも、「ガンジー」「独立」「非暴力」等の単語はそれぞれが連結してなくても頭の片隅にはあって、今回テキストにしたことによって関連付けることが出来たと思ってます。たぶんボーっと番組を見てるだけだったら「ガンジー」「独立」「非暴力」という単語さえ記憶には残ってなかったように思います。

そんなアタシですから、日本で納得できないことが行われた時、たとえば「高知の白バイ事故証拠捏造」にしたって、警察、検察、裁判所(官)がつるんでるのは明白で、暴力に訴えたい怒り爆発なのに、非難の声を上げるだけが唯一の手段であることっておかしくないですか?

こういうと、必ずバリューセットのポテトのように「暴力は絶対ダメ」の声が必ず添えられます。しかも、説得力Sサイズで‥‥‥

でもね、こんなわかりやすい例でなくて、「電子投票法」や「人権擁護法」とかを考えた場合、何から何まで闇の中って気がしてきます。ジンワリと休むことなく、3ミリぐらいずつ迫ってこられたら、抗議運動のタイミングさえ失って、ハッと気付いた時には出来上がってたなんてね‥‥‥
┐(-。ー;)┌

私思うんですよ、みんなホントにそう思っているんだろうかってね

「ホントに言論で世の中が変わると思ってるのだろうか?」ってね

私の考えは今のところ「そんな奴おれへんやろ〜」です。


が、だからと言って「暴力に訴えてでも」とも考えません、あくまでも「暴力」とはナンゾヤを定義し、民意が選択する手段の中に「暴力」も取り入れるべきだと思うのです。

やべー、ちょっと物騒な雰囲気になってきたので

えーと、「暴力」という表現を私は好まないので、「摩擦(抵抗)」とします。たとえばこの日記にしろ立場の違う人にとっては、「言論による暴力」と判断されるでしょう。そういう意味では無言で他人を睨みつける行為も立派な暴力です。(用法として、ガンヲツケル、メンチヲキル、最近ではガンケンなどの表現もある)

延長線上をたどるとビルに飛行機をぶつけるのも暴力ですね。
とうぜん、それを知ってて見て見ぬ振りをするのも、やっぱり暴力です。

これらはすべてある種の摩擦が潜在していて暴力を誘発しているとも言えます、多くの人が「暴力=血」を連想するようなので、無用な誤解を避けるためにも「摩擦」とします。



さて、‥‥‥‥‥‥本文に入る前にこれかよって щ(゚ロ゚щ)

ちょっと、しおれる。 _ト ̄|○

明日はガンジーが提唱した「非暴力・不服従運動」を、ガンジーを知らなかったときのアタシの印象と、番組を見たあとの私の考え方の違いについて書いてみようかなと考えてます。


本文とは関係なく時々癒されてます。

        たむらぱん

               

今日はこのへんで‥‥‥。σ( ̄^ ̄)


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